e総力あげ"言葉の復権"を

  • 2013.10.27
  • 情勢/解説

公明新聞:2013年10月26日(土)付



カギは読書の振興 ネット社会の危うさに抗して
文字・活字文化の日



2012年本屋大賞に輝いた三浦しをんの傑作『舟を編む』は、「言葉の海を渡る舟」たる国語辞書の制作に情熱を注ぎ込む編集者たちの物語だ。洗練された軽妙な文章そのものも魅力的なこの本で、作者は主人公に語らせる。

<言葉はときとして無力だけれど、言葉があるからこそ一番大切なものが私たちの心の中に残る。記憶を分け合い伝えていくためには、絶対に言葉が必要だ>(趣意)

同感である。人と人をつなぎ、共同体を支え、国家と国民を統合するものは言葉を措いてない。自身の思考を組み立て、整理し、体系化できるのも言葉があればこそだ。

その大切な言葉の乱れと低俗化が指摘されて久しい。表現の幅も狭まり、その分、「記憶を分け合い伝えていく」という言葉の本来の意味性も減退しているように見える。

背景の一つに、「匿名性」を特色とする電子情報メディアの急速な普及があることは間違いないだろう。顔の見えない断片的、即時的な情報の大洪水の中で、言葉は限りなく感情と即効的な単発情報を伝えるだけの道具に堕し、社会にもどこか「思考の交流なき浮薄な風潮」(劇作家の山崎正和氏)がたゆたっているように映る。

日進月歩で拡大するネット社会にあって、「言葉の復権」が至上命題であることを自覚したい。

鍵は活字文化の再生だ。社会の総力を挙げ国民の活字離れを阻止する必要がある。そのための最善の方法が読書であることに異論はあるまい。特に若い人たちには、人間と世界への鋭い洞察に満ち、言葉の何たるかをも自然のうちに教えてくれる古典に親しむ努力をしてほしいと願う。

その意味で、いささか気になるのが、街の本屋さんから古典のコーナーが消えつつあることだ。どの店をのぞいてもハウツーものなどの"情報本"が店内を占拠している。

無論、本屋さんに文句を言うつもりなどない。ただ、何らかの政策的支援があっていいようには思う。例えば教育政策の一環として、この種の書物に助成措置を講じられないか。国家が本の優劣を決めるのは危険だが、長い歴史を耐えてきた古典を良書とすることに反発する人はいまい。

ともあれ、時節は「灯火親しむの候」。「文字・活字文化の日」のあす27日からは読書週間も始まる(11月9日まで)。枕辺に古典を開き、電子メディアなき時代に生きた人々が道端の野草に世界を見たその知と心の豊かさに、思いをはせてはどうだろうか。

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