e外交とメディア

  • 2014.01.30
  • 情勢/解説

公明新聞:2014年1月30日(木)付



多様な声に耳傾けよう
民意の成熟を促す報道に期待



1905年、日露戦争の終結をもたらしたポーツマス条約の締結後に帰国した小村寿太郎外相は、賠償金の断念などによって、国民から講和反対の怒りの声で迎えられた。

一方、1933年、満州問題で国際連盟の対日勧告案に抗議し、総会会議場を退場して帰国した首席全権・松岡洋右を待っていたのは、横浜港に集まった群衆による万歳や歓呼の声だった。

前者は戦争継続による国家破綻を食い止め、後者はアジア太平洋戦争の泥沼に道を開くことになるのだが、当時の評価は、現在の常識と大きく異なっている。

両者とも、国民感情に大きな影響を与え、世論を導いたのはメディアだった。

当時、人々の主な情報源は新聞であり、日露戦争では一部の例外を除き、新聞は積極的に戦争に協力し、競って従軍記事などを掲載、各紙は大きく部数を伸ばした。この"伝統"はアジア太平洋戦争でも続き、新聞は軍部の宣伝役を務め続けたのである。

これらは、テレビもインターネットも存在しない時代の出来事だが、現代でも、メディアは一方に偏り、一点集中の様相を帯びることが少なくない。

グローバル化が進むなかで、国民の価値観は多様化し、どの国でも対立する主張が噴出し、せめぎ合っている。メディアが、一国の政治指導者の言動に焦点を当てるのは当然だが、それぞれの国内に有力な異論や反論が存在していることを忘れてはならない。

たとえば、沖縄県・尖閣諸島周辺での領海侵入や一方的な防空識別圏の宣言など、強硬姿勢が目立つ中国でも、政府内に中国海警局に代表される強硬派と対日関係の改善を求める穏健派との攻防が指摘されている。昨年10月下旬の「周辺外交工作座談会」では、習近平国家主席が「今の状態が続くことは中日双方にとって不利益」と強調したとの報道もある。

米国の対中路線も一枚岩ではない。中国の経済成長による好影響を期待する財務省などの融和路線もあれば、国務省の対決姿勢や国防総省の強硬路線もあることが知られている。

メディアに期待されるのは、他国に対する、その時々の批判や異議申し立てだけではなく、対象国の内部にある世論の多様さを見失わず、平和や友好の芽を育てることである。ネット人口の増大とともに、各国で国家主義的な心情が強まる傾向が指摘される今、民意の成熟を促すメディアの役割に期待したい。

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