e中国残留邦人支援 ――法律制定そのとき公明は

  • 2014.07.28
  • 情勢/経済

公明新聞:2014年7月26日(土)付



生活保護と別枠の給付金。配偶者の生活応援も



公明党はこれまで日本に永住帰国した中国残留邦人(孤児)に対する支援策を推進してきた。今年10月からは中国残留邦人の「配偶者支援金」制度もスタートする。中国残留邦人が祖国で安心して生活できるよう奮闘してきた公明党の取り組みを紹介する。


「何のために日本に帰ってきたのか」。関東地区の中国残留邦人629人は2002年12月20日、東京地方裁判所に国家賠償訴訟を起こした。

残留邦人は国策で理不尽な目に遭った揚げ句、戻った祖国で尊厳のない生活を余儀なくされていた。これを皮切りに全国各地で、やむにやまれず、人間としての尊厳を取り戻すための訴訟が相次いだ。

この中で、公明党が残留邦人支援へ立ち上がった。その一人が衆院議員の漆原良夫だ。残留邦人の厳しい現実を知った漆原は「『祖国は温かい』と残留邦人に実感してもらえるよう、生活保護とは別枠で新たな支援策をつくるべきだ」と、即座に行動した。

漆原ら公明党議員は03年10月に超党派の議員連盟、05年7月に党プロジェクトチーム(PT)をそれぞれ設立。同年8月には与党PTも立ち上げ、残留邦人の人間としての尊厳の確保と生活保護からの脱却をめざし支援策の策定を急いだ。

だが、07年1月30日は残留邦人にとって「最悪の日」となった。東京地裁判決で敗訴したのだ。残留邦人の境遇に無理解な判決文に関係者は、あぜんとさせられた。

「政治決断で早急な対策が必要だ」。漆原ら与党PTのメンバーは判決直後、原告団と会い、対応策を練った。当時の安倍晋三首相も判決をよしとせず、新たな支援策を厚生労働相に指示。翌31日には残留邦人の代表を慰労した。

「昨日は地獄に落とされ、翌日一瞬にして天国へ引き上げられたような思いがした」。池田澄江原告団代表(当時)はこう振り返る。

漆原らは与党PTで議論を重ねて支援策をまとめ、野党にも働き掛けた。その結果、同年11月、基礎年金の満額支給と生活支援給付金を柱とする支援法(議員立法)が成立した。

次なる課題もあった。それは、配偶者の生活支援だ。残留邦人は日本人だが、配偶者の多くが中国人のため、残留邦人が亡くなると、配偶者は給付金が減り生活に困難を来していた。

漆原は配偶者の支援に乗り出した。ところが、09年9月の政権交代で民主党政権が誕生。民主党も当初、配偶者支援に前向きだったが、役所の反対で消極姿勢に転じてしまい、この問題は棚上げされてしまった。

12年12月、自民、公明両党が政権に復帰すると、漆原は直ちに動いた。厚労省などに配偶者の待遇改善を要請し、13年10月には与党PTで支援策をまとめた。財務省や野党も説得し、同年12月、従来の給付金に加え、月額の老齢基礎年金の3分の2に当たる支援金を配偶者に毎月支給するとした配偶者支援法(議員立法)を成立させた。新制度は今年10月から実施される。

「配偶者は祖国の中国を離れて老後を日本で迎えている。残留邦人を支えてきた恩に報いなければいけない」。漆原の言葉に人権派弁護士としての素顔が垣間見られた。(文中敬称略)

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