e対立する社論 倫理綱領守り公正な言論を
- 2014.08.26
- 情勢/解説
公明新聞:2014年8月26日(火)付
「どんなものを食べているか言ってみたまえ、君がどんな人であるかを言いあててみせよう」。『美味礼讃』(ブリア=サヴァラン著、関根秀雄・戸部松実訳)ではないが、わが国では、愛読している新聞によって、その人が、政治的に右寄りか左寄りかなどと、推測できるかもしれない。
新聞社の社論の相違や対立が目立っている。首相の靖国参拝問題や、特定秘密保護法、安全保障法制をめぐる議論など、新聞社の主張や意見は大きく異なっている。政党間の対立と類似しているようにさえ思えるほどだ。
社論は、社説や解説に表われるだけでない。学者、文化人のコメント、読者の投稿など、紙面が社論に沿った論調で埋め尽くされることは珍しくない。最近では客観的と思われてきた世論調査結果まで、社論を補強するかのような事態が見られた。
戦前、新聞社は激しい販売競争を展開し、国民の好戦感情を煽った。その苦い経験に照らせば、現在の新聞が、さまざまな争点について、相異なる見解を表明していることは、健全なのかもしれない。役所の発表を伝え、事件、出来事を報道するだけでなく、独自に憲法改正や年金改革などの提案を行うことも、世論形成への熱意の表れだといえなくはない。
だが、社論に固執するあまり、事実から目をそらしたり、無視したりするようなことがあってはならない。
インターネット全盛の時代では、人々は、異なる考え方を遮断し、同じような意見を持つ者同士で集団を形成しがちである。
「集団分極化」などと呼ばれるこうした現象が、新聞社の社論によって、さらに増幅されることも考えられる。
国際的な世論調査では、先進国の中で、日本人の新聞・雑誌への信頼度は、極めて高いことが知られており、新聞社が発信する強い主張が逆に国民の合意形成を妨げることにならないか、不安もある。
日本新聞協会の『新聞倫理綱領』には、「報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない」とある。
「まず社論ありき」ではなく、「公正な記事と責任ある論評」に努めてもらいたい。