e3・11と政治 経験、知見、教訓を世界へ

  • 2014.09.17
  • 情勢/社会

公明新聞:2014年9月17日(水)付



日本行動計量学会 公開シンポジウム
東北大学
井上義久幹事長の講演(要旨)から



公明党の井上義久幹事長は4日、母校である東北大学で「東日本大震災に対する政治の使命」と題して講演した。日本行動計量学会の公開シンポジウムの中で行われたもので、発災直後からの政治の動きに焦点を当て、「政治は常に結果責任が問われる」と強調。また、来年3月に仙台市で開かれる国連世界防災会議に向けて、3.11の経験と知見、教訓を世界へ発信していく重要性を力説した。

刻々と変わるニーズ 「現場主義」の視点こそ

《テーマ1》空前絶後の大災害は、被災自治体の行政機能をマヒ状態に陥らせた。国や県の対応も遅れたため、「救援物資が届かないのはコントロールタワーが欠けているから」(経団連幹部)、「国は勝手なことを言っているが、現場へ来いと言いたい」(自治体職員)など、当時の民主党政権への批判が噴出した。大災害が発生した時、刻々と変わる被災者や被災地のニーズ(需要)をいかにつかむか。


災害対策では現場が何よりも大切だ。被災者、被災地のニーズは刻々と変わる。発災当初は救助が一番のニーズであり、ある程度たつと避難所の運営に移り変わる。そして、復旧、復興の段階でもニーズは変わっていく。

発災翌日の2011年3月12日、党内の震災対応協議を終えた私は、仙台市へ向かい、翌13日の午前5時頃に到着。避難所では「食料や水を何とか確保してほしい」という悲痛な叫びが寄せられた。そして、仙台市長からは「市立病院の自家発電用の重油が足りない。このままでは病院機能が停止してしまう」として、対応を求められた。

また、ある避難所では、インスタント食品などの救援物資が届いていたが、「水も電気もない状況では食べられない」。さらに、しばらく経過した頃の別の避難所では、子育て中の女性から「毎日、おにぎりやインスタント食品ばかり。子どもの栄養が心配だ」という声が寄せられた。

震災対応で重要なことは、現場を踏まえた想像力を持つことだ。当時、避難者は約47万人に上った。朝昼晩のおにぎりを支給するには、約300万個が必要だったが、当初は調達できていなかった。

発災翌日は土曜日だ。その点に着目したのが、東北大学の同級生でもある佐竹敬久・秋田県知事だ。土日は給食センターが休みなので、そこでおにぎりを作って隣の岩手県内の被災地へ届けた。政治は、今はこういう状況であり、何をすべきかという想像力を働かせることが求められる。

全体像把握へ公明のネットワーク生きる

《テーマ2》広域かつ甚大な被害であり、情報の断絶や自治体の行政機能が停止したことで、国や県レベルでは被災地の全体像の把握が大幅に遅れた。当然、震災対応の遅延につながり、被災者の不安や不満を増幅させる原因にもなった。3.11は、広域災害においては、行政機能に頼らない"もう一つの装置"が不可欠なことを浮き彫りにした。


被災地全体の復旧を進めていくためには、政治家一人では限界があるので、信頼できるネットワークが不可欠だ。その上で、現場のニーズにいかに応えていくか。政治はその結果責任が問われる。

公明党は、被災地の市町村に担当の国会議員を配置し、現地の地方議員と緊密に連携を取ってきた。その中で政策実現した好例が災害弔慰金制度の改正だ。

この制度は、災害時に親族が亡くなった場合、当座の生活支援として弔慰金を給付する仕組みだ。しかし、その適用要件は直系親族が亡くなった場合に限られ、生計を共にする兄弟の家庭などには適用されていなかった。

実は、全国から寄せられた義援金を被災者へ配布する際、運用基準となるのが災害弔慰金制度だ。従って、生計を共にする兄弟が亡くなっても、弔慰金だけでなく義援金すら支給されない状況だった。こうした悩みが、岩手県釜石市の山崎長栄議員(公明党)の元へ寄せられた。担当の遠山清彦衆院議員が国会質問などを通して対応し、同年7月に制度を改めた。

また、仮設住宅総点検というアンケートを行った結果、風呂の追いだき機能を望む声が最も多かった。このため、再三、国などへ要請したが、「差し湯をしてもらうしかない」という返答に終始した。これはおかしいということで、私自身も衆議院本会議の代表質問で取り上げた結果、国が予算をつけて処置することとなった。こうした政策実現の背景には、被災地全体に共通するニーズをつかむネットワークの力があった。

"次の大災害"にらみ法整備に万全を期す

《テーマ3》1995年の阪神・淡路大震災後、災害法制の整備が進められた。理念法としての災害対策基本法の下、予防、応急、復旧・復興の各段階に応じた個別の法制ができ、対応は十分とされてきた。皮肉なことに、その不備と欠陥を露わにしたのが東日本大震災だった。震災後、法整備はどう進められてきたのか。


今回、問われたポイントは、市町村の枠を越える広域な大規模災害時に、いかに対応すべきかということだ。

従来の制度では、避難所への食料供給で国や県が対応するためには、市町村の要請を前提としていた。しかし、市町村の機能が壊れた状況下では、国や県が積極的に支援する必要がある。

このため、自公政権下、法改正を行い市町村と県や国の役割を明確にした。さらに、大規模災害に関する新たな法律も制定。これは、大規模災害が発生した場合、復興を推進するための復興対策本部を内閣府に設置することや、当該市町村が、迅速な復興を図るため、政府の復興基本方針などに即して主体的に復興計画を作成できるようにした。

今後、東海、東南海での大地震などが想定されている。来る大災害をにらみつつ、災害法制の的確な整備、見直しを怠らず進めていきたい。

来年3月には国連の世界防災会議が仙台市で開かれ、世界中から各国首脳らが集まる。この場で、防災・減災が政治の最も主要な課題であることなど、東日本大震災の知見を世界へ発信していかねばならない。それが、未曽有の災害を体験した日本の使命であり、責務だと思っている。

私は、復旧・復興の闘いは、「風化」と「風評被害」という"二つの風"との闘いと自らに言い聞かせている。震災体験そのものが風化し、国会でも震災復興に関する質問が取り上げられる機会が減ってきている。フクシマの苦悩も続いている。公明党は、これからも一人一人の被災者に焦点を当て、「人間の復興」を成し遂げていく決意だ。

参加者らの声

今回の基調講演は、東北大学の河村和徳准教授による招聘で実現した。河村准教授は、同日の講演について、「仙台一高や二高など仙台市内の高校で行われる被災地学習の"キックオフイベント"としての意味を持つ」と話す。

講演には、一般参加者以外に約700人の高校生も参加。高校生からは、「国政が震災対応でどのように動いたのかを初めて知った」(仙台一高1年)、「政治家がここまで現場に入っているとは知らなかった」(仙台二高1年)などの声が寄せられた。

講演終了後、河村准教授は、「震災の初動で現地へ入った国会議員に関する情報はあまりない」と指摘するとともに、「被災者の声を聞いて政策として具現化するという政治の大切さを再認識する良い機会だった」と評価。また、「今回の発表を踏まえ、若い世代への発信の必要性を感じた」と語っていた。

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