eいつも生活者のそばにいる政治を
- 2014.09.24
- 情勢/解説
公明新聞:2014年9月23日(火)付
結党50年 公明党を語る
作 家 童門 冬二 氏
この世で一番つらく悲しいことは、愛する者同士が不条理な原因によって、突然バラバラに引きはなされてしまうことだと思います。
災害や戦争はそのもっとも大きな原因ですが、身近なところでも貧しさや病気などで、こういうことがよく起ります。そんな時、人びとは愛する人は無理でも「誰かそばにいてほしい」と希います。ぼくは公明党はそういう政党だと思っています。
つまり苦しみ悩む人の脇にいて、その苦しみや悩みを"ヒトゴト"でなく、"ワガ(自分の)コト"として共感し、どうすればいいかをいっしょに考えてくれるのだと思います。このことはとくに地方において、生活者としての経験を積んだ議員さんたちの、実感するところでしょう。
それが五十年になりました。"積小為大(小さなことを、根気よく積んで大きなことにする)"の実行です。この努力は、政治にとってもっとも大切な「信頼」の根源です。五十年で得た信頼の大岩は、これからの百年、二百年後には、たとえようもなく大きな巨岩になることでしょう。
この信頼を保ち、さらに大きくするためにひとつだけお願いがあります。幕末の備前松山藩(岡山県高梁市)に、山田方谷という学者家老がいました。農民出身です。主人の板倉勝静という大名は、江戸城に老中として召し出され、国政に専念していました。当時の藩はひどい赤字で方谷はその克服のための、行財政改革を行なわなければなりませんでした。かれはこう考えました。
「改革は住民の信頼を得なければ実行できない」。しかし「信頼を得るためには、財政面だけでなく"経済"の本義に戻って考える必要がある」。かれも学者ですから"経済"という言葉を単なるソロバン勘定ではなく、「みだれた世の中をととのえ(経)、苦しんでいる民を救う(済)」という本義を知っています。ところが当時は経済をソロバン勘定だ、とキメつけていました。
かれは主張します。
「財に屈せず事の外に立て」
ソロバン勘定に負けずに、その渦から這い出て岸に上り、全貌をクールに展望しよう、ということです。国政・地方行政をとわず、ぜひお願いいたします。方谷はそのころ住民がもつ「藩政不信」の原因が、「正貨(幕府発行の通貨)との兌換性を失なった藩札(藩発行の通貨)にある」と判断し、これを集めて公開焼却処分を行ないました。これによって一挙に信頼を得た方谷は、その後みごとに財政を再建しました。農民出身のかれには、つねに藩民ひとりひとりに寄りそう気持があったからです。