e結党50年対談 歴史に学ぶ政治の原点
- 2014.11.17
- 情勢/社会
公明新聞:2014年11月16日(日)付
作家 童門 冬二氏
公明党幹事長 井上 義久氏
公明党は、あす17日に結党50年を迎え、新たなスタートを切ります。今回は、歴史上の人物にスポットを当て、多くの作品を手掛けてきた作家の童門冬二氏と公明党の井上義久幹事長が対談。時代を切り開いた先人たちの行動から、政治のあるべき姿を語り合いました。
"小を積み大と為す"公明党 童門
現場発を貫いてきた半世紀 井上
いつも生活者のそばに
井上 公明党は17日に結党50年を迎えます。政党の離合集散が激しい中で、公明党が50年の歴史を刻むことができたのは、公明党を一生懸命支えてくださった皆さまのおかげです。
童門 素晴らしいことです。
井上 公明党には「大衆とともに」という立党精神があります。先日、公明新聞に「いつも生活者のそばにいる政治を」という童門先生の寄稿を掲載(9月23日付新しいウィンドウで開く)させていただきました。それが政治の原点でなければいけないと思いますし、公明党はそれを今日まで貫いて50年を迎えることができたと思っています。
童門 公明党は、いつも生活者の視点に立っているので、非常にホッとするというか、"いつも脇に居てくれる"という安心感がありますね。
井上 もう一つ、公明党は結党以来、現場第一主義を掲げてきました。現場に行かなければ本当のことは分からない。現場で苦闘している人たちが何を考え、何を悩み、何を期待しているか。そういうことを直接、自分が見聞きしなければ、本当の政策はつくれないというのが、一貫したモットーです。
童門 私は、東日本大震災の時に、すごくショックを受けました。何もしてあげられないという、自分の無力さを痛感しました。
ある日、テレビを見ていたら、福島の避難所で、明るく、雑用に走り回っている中学生の姿が映し出された。取材班が尋ねると、「あの地震の前まで、俺は悪ガキだった。ところが、あの地震で親が変わり、先生が変わった。人のために、いろんなことをやり、喜ばれている。俺も悪ガキでいられなくなっちゃった」と。
その時、彼は、おばあちゃんに聞いたそうです。「おばあちゃん、復興って何をすればいいんだい」って。すると、おばあちゃんは、「大げさなことをお前が考えることないんだ。今いる場所でできることを一生懸命やる。それが復興につながっているよ」と。これには教えられました。今いる場所でやれることを力を抜かずにやろうと。
「人間の復興」こそ政治の使命
井上 東日本大震災では、われわれは最初から、復興は「人間の復興」でなければならないと考えてきました。要するに、生きている人が新しい夢とか希望とかを見いだし、前に踏み出す、そのための復興でなければいけないと。その中学生は、いち早く心の復興をしているのですね。それが伝播していく。そういうことが、一番政治にとって大事なことだと思います。
童門 二宮金次郎の言葉ですが、「積小為大」と言っていた。小を積んで大と為そう、逆にいえば、小を積まなければ大もならないよと。その意味で、積小為大は、文字通り公明党が生活者に密着し、実践してきた大事なことです。
井上 公明党は、地方議会からスタートしました。生活の現場から、時代に応じて、庶民の悩みを受け止め、例えば経済成長の中でも、教科書が買えないという現実が一方にあった。そういう現実を捉えて、全国的な運動を起こし、昭和30年代に義務教育の教科書無償配布の法律ができ、いまの制度に至っています。童門先生はよく「下流から上流へ」という話をされていますが、やはり現場から政治を考える、そこから積み上げていくという作業が政治には必要です。
土地に潜む徳を掘り起こせ 童門
地方創生は"人"が真ん中に 井上
木を植え続ける精神で
童門 織田信長は、尾張の国から美濃の岐阜に入ったのですが、拠点が金華山という山の上にある稲葉山城という城だった。信長は一度、城に入ったのですが、高い所からでは、地べたを這うように生きている民衆の悩み、苦しみは分からないと、その日に山を降りてしまった。
やはり目線を民と同じ所に置かなければ、この国の政治はできない。戦国時代の武将でも、物を考えている人なら皆、現場の人のためということを考えていたのです。
井上 いま、NHKの大河ドラマで黒田官兵衛が主人公になっています。先生の本を読ませていただいて目からうろこだったのですが、当時、日本には「地方」はあったが「国」はなかった。「住民」はいたが「国民」という概念はなかった。それに初めて黒田官兵衛が気付き、実際にやろうとしたのが織田信長で、それを官兵衛が貫き通したのがすごいところですね。
童門 官兵衛たちの活動によって、国家意識を持つような政治家が増えたのですが、信長がそのために旧秩序というか価値観を壊して、秀吉が更地になったところに新しい価値社会を建設して、徳川家康がそれを長期管理をしていく。壊す、作る、守るという3人の役割があったと思います。
地域の可能性をどう開拓するか
井上 黒田官兵衛で感心したのは、経世済民、民を豊かにするには、地域と国という両方の角度が必要ということ。何のために国があり、何のために地方があるのかという原点を失うと、結局うまくいかないということだと思います。
いま地方創生が話題になっていますが、何のための地方創生かという視点が大事です。根本は、いま住んでいる地域で、人々がしっかり人生設計ができること。そのために医療や介護、教育など必要な行政サービスが整い、安定した仕事があって、子どもを生んで育てていける、そういうことが大事です。"人"を真ん中に、「人が生きる、地方創生」でなければならないと公明党は訴えています。
童門 上杉鷹山の師であった細井平洲は、復興とか再興とかの基になるのは、人と現場以外にはない、土地の中に徳が潜んでいると語っています。徳を持っている人が鍬を持ってその徳を掘り起こせば、相乗効果が起こって、農作物が実っていくんだということです。その努力を続けるには、自分のいる場所に徳が潜んでいるということを一人一人が感じなければいけない。
たとえ、そこが灰のようなものであっても、掘り続けていけば、必ずそこに、人々に勇気を与える種火があるはずだ。それをまず自分の胸に移して、そこから人々へと連帯して火種運動を起こそうというのです。
井上 そうです。「土地に徳がある」という発想が、いま最も大事だと思います。地方創生の一番のポイントは、まず、自分の生きている地域には"徳"があると確信して、その可能性をどう開拓していくかということです。国の役割も重要ですが、そこに住んでいる人が、自分の地域に徳、可能性があるという考えを広げていかなければならないと思います。
童門 ルーマニアの作家で、コンスタンティン・ゲオルギウという人がいて、スターリン体制下に置かれていたルーマニアの過酷な国情を小説に書いているのですが、末尾でわれわれは決して絶望したりはしませんと。そして、「たとえ世界の終末が明日であっても、私たちは今日、りんごの木を植え続ける」と書いています。
木を植え続ける精神が一番大事です。公明党は50年、りんごの木を植え続け、今は実がなって、それを国民へ配っているということでしょう。
井上 ありがとうございます。「実った」と油断したら、またダメになりますので、実りを収穫しながら、同時に木を植え続けるということが大事ですね。50年を節目にそうした決意を新たにしてまいります。
どうもん・ふゆじ
1927年、東京生まれ。作家。東京都庁に勤め、都政策室長など歴任。退職後は執筆活動に専念し、著書に『小説 上杉鷹山』『歴史人物に学ぶリーダーの条件』『黒田官兵衛 知と情の軍師』『新訳 信長の言葉』など多数。日本文芸家協会会員、日本推理作家協会会員。