eコラム「北斗七星」

  • 2014.12.10
  • 情勢/社会

公明新聞:2014年12月10日(水)付



公明党が結成された50年前から、さらにさかのぼること100年前の幕末。維新回天の流れを決定付けたともいわれる決起があった。長州の高杉晋作による"功山寺挙兵"である▼元治元年(1864年)の旧暦12月13日。高杉は自分が創設した奇兵隊や諸隊に対し、倒すべき幕府になびく藩内俗論派を打破するため、今こそ決起する時だと説く。翌14日は、亡き師の吉田松陰がかつて脱藩を決行した日。遺書まで残した高杉の胸中には「死して不朽の見込みあらば、いつでも死すべし」との教えが蘇っていたに違いない◆高杉に呼応した賛同者は当初、わずか80人余。だが、後に「動けば雷電の如く...」と評された風雲児の快進撃で味方の勢力を増し、ついに俗論派が牛耳る藩政をひっくり返して、倒幕へと向かう時代の歯車を大きく回転させた◆「今、萩に向かって一里行けば一里の忠を尽くし、二里行けば二里の義を顕すときである」。挙兵の際に語ったと伝わる高杉の名言には、ただただ勝利を信じて真っ直ぐに突き進む、研ぎ澄まされた決意が感じられる◆最終盤に突入する衆院選の攻防は、残る4日間の正念場を迎えた。残された一日、一日。執念でもぎとる一票、二票の積み重ねが、確実に公明党勝利の道を切り開く。最後の最後まで語り、訴え、断じて勝ち抜こう!(祐)

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