e改正離島振興法――法律制定そのとき公明は
- 2014.12.22
- 政治/国会
公明新聞:2014年12月20日(土)付
どの党よりも島を歩き、国会の議論を終始リード
日本列島には6852島もの島々が連なる。そこに息づく島民の生活を守るため、離島振興施策を抜本的に拡充する改正離島振興法が昨年4月から施行され、関係者から高い評価が寄せられている。離島の厳しい環境を踏まえ、島民が安心して暮らせる島づくりへ法改正を主導してきた公明党の闘いを紹介する。
2010年夏、日本最西端の地、沖縄県の与那国島を山口那津男代表は歴代の党代表として初めて訪れた。与那国島は公明党議員がいない空白区。「思い通りの医療を受けさせてほしい」「那覇までの航空運賃を引き下げてほしい」―。島民は抱え込んだ生活上の課題を続々と山口代表に打ち明けた。一人一人の相談に耳を傾け、懇切丁寧に応える山口代表。島民との対話を重ねるごとに、生活の向上や島の活性化へ、山口代表を先頭に、公明党の闘いは一段と活発化していった。
日本の領土面積は、約38万平方キロメートルと世界で62番目の広さにすぎないが、領海と排他的経済水域(EEZ)を合わせた面積はその約12倍となる447万平方キロメートルで世界第6位になる。離島は海洋国家・日本の境界線を支える大きな役割を担う一方、本土以上に深刻さを増す島民の高齢化や人口減少に直面している。
島民の生活を支援するのが離島振興法だ。12年度末に期限切れを迎える法律の抜本的な改正を視野に入れ、公明党は10年10月に、政党で初の「離島振興対策本部」を設置した。「離島に足を運び、実際に現場を目で確かめ、島民の思いや悩みを聴いて国に届けよう」。本部長に就任した衆院議員の遠山清彦を中心にメンバーが結束し、全国各地の離島で"膝詰めの対話"に歩き、政策を練り上げていった。
11年11月、公明、自民、民主などの与野党7党(当時)で、法改正に向けて実務者協議がスタート。公明党からは、現場を歩き、離島の実情を肌身で知る同本部事務局長で参院議員の山本博司が参加した。協議が進む中で山本は、同年12月に発表した公明党の「離島振興ビジョン2011」を提示。そこには、どの党よりも離島に寄り添い続けてきたことで、現場の実態に即した法改正の内容が盛り込まれていた。
この説得力ある公明党の提言は、最も内容が優れているとして各党の賛同を集め、次第に議論のたたき台に。公明党のビジョンを基に、十数回に及ぶ精力的な議論が進んでいった。
その結果、12年6月に与野党7党が改正案の内容で最終合意。22条から成る法律に新たに14条を加えるという抜本改正で、離島の無人化や人口減少を防ぐ「定住促進」の理念を規定し、これまで都道府県に任せがちだった離島振興のための施策を「国の責務」と明確化した。また、「離島活性化交付金」も創設し、施設や道路を整備するハード面だけでなく、医療や介護、教育などのソフト事業にも活用できることになった。
同改正案は、12年6月20日の参院本会議で全会一致で可決、成立した。同15日に衆院国土交通委員会に委員長提案され、衆院本会議などを経て、参院本会議の採決までわずか6日という異例のスピード決着。会期末の直前、法改正にかける遠山、山本ら関係議員の熱意が、その局面を切り開いた。
離島振興法は、新法をつくったに等しい法律に生まれ変わった。しかし、離島支援策が前進するとはいえ、航路・航空路運賃の低減など具体的な施策を一つ一つ結実させていかなければならない。だからこそ遠山は誓う。
「島を愛する純朴な人々の生活を守るためにも、まだまだ闘い続ける」
見事な提言、合意形成
全国離島振興協議会 渡邊 東 事務局長
離島振興法改正は、全会派が協力し思いを共有した議員立法の"鏡"とも言うべき画期的な出来事だった。
全会派による議論のたたき台になったのは、われわれの要望を汲んで見事にまとめ上げた公明党の提言で、合意形成に向けたスムーズな流れがつくられた。感謝の念に堪えない。
改正法には従来のハード面の重視とは違って、ソフト事業に活用できる「離島活性化交付金」が盛り込まれた。ソフト面の充実を政策の柱として位置付けることができたのも、常に医療、福祉、教育の各分野に力を入れている公明党ならではの視点と感じている。
全国の離島では、依然として航路・航空路運賃の負担が大きいなど多くの課題を抱えている。今後も、公明党が離島振興のうねりを巻き起こしてくれることを期待したい。
【離島振興法】1953(昭和28)年に議員立法で制定され、以来、10年ごとに改正・延長されてきた。離島振興法による離島振興対策の実施地域は、特別措置法が適用されている沖縄、奄美群島、小笠原諸島を除く全国254の有人離島が対象(関係市町村数は110)。人口は約38万7000人。