eはやぶさ成功させた"心"
- 2015.03.18
- 情勢/テクノロジー
公明新聞:2015年3月18日(水)付
JAXA名誉教授 的川氏の講演から(要旨)
究めたい 挑みたい 造りたい
ずっとピンチの連続だった「はやぶさ」の話を本気ですると7年かかるので(笑い)、きょうはもうダメだと思った時のことをお話ししたい。
2009年11月のこと。はやぶさが頼ってきた四つのイオンエンジンがすべて故障し、プロジェクト・マネジャーの川口淳一郎君が絶望的な記者会見を開いた。「おそらくダメかと思う」と。しかし、この会見の後、イオンエンジンを開発した国中均君が奇策を提案した。
それは、設計図にはない、互いのエンジンの回路がつないであることを用いたアイデア。はやぶさ打ち上げが迫る中、彼はエンジンが故障する可能性を考え、クビ覚悟で部品を取り付けていた。相談しても反対されると思い、無断で設計変更をしていたのだ。
国中君の行為は決していいことだとは言えないが、そのおかげでエンジンが復旧でき、はやぶさが"奇跡の生還"を果たせたのも事実。歴史の偉業は、そうしたことから生まれるとも言える。このルール違反をどう見るか、熱心に議論したが、国中君が罪にならなかった証拠に、彼は今、はやぶさ2のプロジェクト・マネジャーだ(笑い)。
はやぶさプロジェクトを振り返ってみると、最初に太陽系の始まりを「究めたい(好奇心)」人がいて、その計画をどう作るのか「挑みたい(冒険心)」人が続き、そのためのモノを「造りたい(匠の心)」人たちが結びついた。
どの心の傾向が強いかは、一人一人違う。でも、その違いがいい。どれだけ早く見つけられるかが大事だ。科学の知識は成長してからでも身に付くが、科学の心やセンスというのは、新しく育ってこない。家族の関わりも大切だ。
2011年3月11日から4年。福島の人には、本当に悪夢のような事件だっただろう。私は、その年の5月に東北を車で回り、目を覆うような、胸をふさがれるような光景を目にした。それは、私の小さい頃の経験に似ていた。
私が生まれた広島の呉市には「戦艦大和」を造った軍港があり、戦時中にものすごい爆撃を受けた。3歳だったが、防空壕へ走るときの母親の背中と、敗戦後に進駐軍からもらったチョコレートを「『日本人の矜持』だから食べるな」と言った父親の言葉が身に染みついている。自分の一生の宝だ。生涯を貫く心の形成が皆さんの年代に必ずある。大きくなり、何かを決定する時の基礎となるものを見つけてほしい。私にとっては「平和」だ。