eコラム「北斗七星」
- 2015.03.31
- 情勢/社会
公明新聞:2015年3月31日(火)付
大河ドラマ『花燃ゆ』が人気だが、時計の針を少し先に進めてみる。維新後、士族の不平は募った。明治10年2月、史上最大の内戦となる西南戦争が勃発する。新政府はこれに勝ち、近代国家の基盤を固めた◆激戦の舞台、田原坂(熊本市)。資料館には、官・薩両軍の銃弾が空中でぶつかってできた「かち合い弾」が展示されている。田原坂で使われた銃弾は1日平均35万発(官軍32万、薩軍3万)。「雨は降る降る 陣羽はぬれる/越すに越されぬ 田原坂」で始まる「田原坂」は、熊本県の党員、支持者が選挙戦で歌ってきた民謡だ◆従軍記者だった犬養毅は「一に雨、二に赤帽、三に大砲」と勝因を記した。開戦から17日間、雨が続き、薩軍は旧式銃に火をつけるのに苦労した。官軍には精鋭の近衛兵(赤帽)もいた。さらに大砲の数。環境と攻撃力が勝敗を分けた◆情報伝達の差も大きい。電信線が九州に伸びたのは明治6年。大久保利通は開戦前に「鹿児島に反乱の兆し」との情報をつかんだ。刻々と伝わる情報をもとに、官軍は3月20日早朝の総攻撃を決めた。伝令頼みの薩軍には、誤報で進撃が中止になる失策もあった◆時代は変わろうとも、あらゆる攻防戦を制するのは、攻撃力はもちろん、正確、迅速な情報伝達力と、それに基づく作戦であろう。肝に銘じたい。(也)