e「解釈改憲」には該当せず
- 2015.07.02
- 政治/国会
公明新聞:2015年7月2日(木)付
衆院平和安全特委の参考人質疑
小川和久氏の意見陳述(要旨)
憲法と閣議決定
日本の安全保障、平和主義に関する議論は憲法と国連憲章と日米安保条約を合わせ読み、その整合性の下に進められなければならない。その視点から言うと、昨年7月1日の閣議決定も現在行われている(平和安全法制の)議論も憲法に反する部分はない。
なぜかと言えば、憲法は国連憲章のいずれの条文も否定していない。また、憲法は日米安保条約のいずれの条文も否定していない。条約を結ぶということは憲法に反していれば結べない。その中でわれわれは、この集団的自衛権の議論というものを整理しなければならない立場だ。
よく解釈改憲などという言い方があるが、昨年の閣議決定は解釈改憲という考え方から見てもほとんど抵触しないようなレベルのもので、過去、憲法解釈がドラスティックに変えられたのは昭和29年(1954年)12月、保安隊が自衛隊になる時だ。これはそれまでの吉田(茂)首相の見解とは全く異なるところで解釈が変えられた。これについても国民の過半数は許容範囲内にあるという受け止め方をしてこれを認めた。そこから見れば昨年の閣議決定は、憲法解釈の変更には該当しないという考え方だ。
日米同盟
集団的自衛権について日本的な議論を整理しようというのが私の立場。(賛成、反対だけを聞かれるが)何のために賛成するか、反対するかという前提がない。国家、国民の安全を図るための選択肢は、防衛力整備一つ取っても現実的なものは二つしかない。片方を選べば集団的自衛権の行使は前提条件になる。片方を選べば集団的自衛権なんて言葉を使わなくて済むようになる。どちらなのかという話である。
だから集団的自衛権という言葉なんか使いたくなければ同盟関係を解消すれば良い。そして独自に防衛力を整備すれば良い。
ただ、実務家の立場で言うと、いまのレベルの安全を独力で実現しようとすれば、(防衛費の大幅増など)やはり大変な負担に耐える覚悟が必要だ。負担に耐える覚悟が国民にあるのか。とにかく経済的な発展を追求するために日米同盟を使おうとしてきた。そうであればもう一つの選択肢、日米同盟を活用するのが良いし、これが現実的だと言いたい。
その場合、同盟関係を選ぶというのは相互防衛が前提。相互防衛というのは集団的自衛権の行使が前提条件になる。個別的自衛権は自分の国の安全を自分の国の軍隊で守る権利。集団的自衛権は自分の国の安全を同盟国などの軍事力で守る権利。いずれも自分の国の安全が先だ。
戦争への歯止め
(平和安全法制論議の中で)他衛だとか、他の国の戦争だと言っているが、自分の国の安全なくして他の国の戦争に手を貸すなんてあり得ない。日本の軍事力はドイツと同じで自立できない構造だ。戦力投射能力(敵を壊滅させる能力)は逆立ちしても出てこない。外国を軍事力で席巻しようとしてもできない。
そういう中で歯止めの問題が常にされているが、大枠の話をすると、歯止めと言えるのは国連憲章であり、集団的自衛権であり、自衛隊の戦力投射能力なき軍事力、これらが全部歯止めだ。国連憲章にはその精神と齟齬をきたす行動を米軍がとるときにはそれを抑制させる機能がある。それから海を渡って外国を軍事力で席巻することのできない構造の自衛隊。これも歯止めになる。
だから後方支援が(自衛隊による海外での武力行使になるなど)いろいろ議論になるが、(自衛隊に)できること、できないことがあって、できないことの方が圧倒的に多い。軍事組織としては。それも歯止めの一つであることを認識してほしい。