e震災遺構の県有化 保存か解体か 時間かけ結論を
- 2015.07.03
- 情勢/解説
公明新聞:2015年7月3日(金)付
東日本大震災の遺構保存の是非をめぐり、一つの方向性が示された。
その遺構は、震災被害の生々しさを伝える、宮城県南三陸町の防災対策庁舎だ。佐藤仁町長が震災から20年後に当たる2031年3月まで、県が所有して維持管理するという県の提案を受け入れることを表明した。
巨大津波に襲われ町職員ら43人が犠牲になった同庁舎は、震災直後から被災の象徴として全国に知られているが、保存か解体かで町民の意見は分かれている。
町は当初、財政負担や遺族の心情を考慮して解体する方針だったが、県の有識者会議が遺構としての価値を評価。村井嘉浩知事が、県有化後に時間をかけて検討するよう提案。町が町民に意見を公募すると、6割が県有化に賛成、町議会も県有化を求める請願を全会一致で採択していた。
それでも「震災遺構を議論することはこんなにも難しいのか」との町長の言葉が物語るように、苦渋の決断だったことに変わりはない。復興の将来を見据え、時間をかけて納得できる結論を見い出す機会を確保したことを、尊重したい。
被災者や遺族にとって遺構は、つらい記憶をとどめる"負の遺産"の側面を持つ。「見ると当時を思い出してつらい」と、解体を求める町民は少なくない。こうした人々の心の整理や理解なしに保存活動を進めることは到底できない。
一方で、遺構は被災の痕跡を後世の教訓とする強いメッセージ力を持つ。犠牲者の慰霊や防災教育、観光など多くの分野で活用を求める声がある。5年後の東京五輪・パラリンピック開催時には、多くの外国人が被災地を訪れ、震災の深刻さを直接目にすることもできる。即時解体が見送られたことで、遺構を伝える発信のあり方も求められる。
保存の是非は向こう16年かけて議論していく。これから大人になる世代や生まれてくる子どもたちの視点も欠かせない。被爆遺構として有名な広島の原爆ドームは戦後21年を経て保存が決まったが、きっかけは地元の子どもたちの募金活動だった。震災の記憶や教訓を次世代に伝えていく上で、彼らの声にもしっかり耳を傾けていきたい。