eコラム「北斗七星」
- 2015.07.30
- 情勢/社会
公明新聞:2015年7月30日(木)付
沖縄県では37年前のきょう、自動車が右側通行から左側通行となり、日本本土と同じになった。太平洋戦争末期の沖縄戦後、米国により右側通行に変えられていたのだ。それは本土復帰後も6年間も続いていた◆沖縄の戦禍を物語る出来事の一つだ。その沖縄戦では大勢の若者が犠牲となった。「戦場に動員された一三歳から一九歳までの中等学校生徒、師範学校生徒のほぼ半数が、戦場で命を奪われたことになります。これが当時のハイティーンの学生にとっての沖縄戦でした」◆元ひめゆり学徒隊の宮城喜久子さんが『ひめゆりの少女』でつづっていた。同著に、米軍に追い詰められ、絶壁の上で死を覚悟した少女たちの本音の叫びがあった。「もう一度、弾の落ちて来ない空の下を、大手を振って歩きたい!」◆「青春を謳歌することもなく戦場に倒れた、ひめゆりを含む若い学徒たち」(宮城さん)。この言葉を目にしたとき、児童文学作家の石井桃子さんが『エッセイ集』に記していた次の一文を思い出した◆「ゆたかに物をかんじ、のび、力を貯えなくてはならない時代に、今度の戦争を経験した人たちの不幸を、私は何にもたとえることができない。失われた成長期は、もうとりもどすことができない」◆若者が青春を謳歌できる社会であらねばならない。(六)