eコラム「北斗七星」

  • 2016.02.08
  • 情勢/社会

公明新聞:2016年2月8日(月)付



交易拠点として富が集まった博多は、武将の争奪戦で度々焼き尽くされた。太閤町割りが繁栄の礎とされる。だが、秀吉もさることながら、博多を復興させたのは町民の心意気だったに違いない。福岡市に現存する博多塀に思った◆瓦礫を練り込んだ塀は、町割りに尽力した豪商、島井宗室が考案した。「焦土から繁栄を築く」との誓いである。宗室は大陸や半島との交易を再興し、朝鮮出兵を諫めた。昨年が没400年にあたる。秀吉の腕力と博多衆の反骨心。両輪で博多は繁栄した◆時は今、中国の春節休みを迎え、博多港が一段と活気付く。クルーズ船の寄港回数は昨年、初の全国1位に。財界は観光を石炭、鉄、自動車に続く基幹産業と位置付け、九州で現在の5倍、1兆円産業にと意気込む◆これを後押しするのが公明党だ。石井国交相が昨年、高瀬ひろみ党国際局次長と共に同港を視察。市長から要望を受け、補正予算に7億円の港湾整備費が盛り込まれた。クルーズ船の2隻着岸やアジア最大級客船の入港が可能になる◆ところで、朝鮮出兵の案内役として大名に取り立てようとした秀吉の誘いを断り、宗室が難題をぶつけた。「されば、内海(博多湾)すべてを拝領したく......」。アジアに開かれた海の玄関口は、昔も今も石高に換算できない可能性を秘めている。(也)

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