e「震災5年」を歩く ―被災地の今―

  • 2016.02.23
  • 情勢/社会

公明新聞:2016年2月23日(火)付



仮設商店街 「綱渡りの営業、楽じゃない」
宮城・名取市



減る客足、かさむ借金 現地再建 なお遠く


「あの日から5年。客足は落ち、どの店も楽じゃないはず......」。仙台空港に近い宮城県名取市の美田園地区にある仮設商店街「閖上さいかい市場」の一角で、佐々木恒子さんはため息をついた。「被災地ツアーが減り、観光バスもほとんど来なくなった。風化なんでしょうね」


▼「再開」と「再会」と


佐々木さんが勤務する店は、明治4(1871)年創業の「佐々木酒造店」。市内沿岸部の閖上地区で140年にわたって地酒を製造・販売してきた造り酒屋の老舗だ。

だが、東日本大震災の大津波で閖上は壊滅。佐々木酒造店も、蔵から倉庫、店舗まで全て壊された。代表取締役の佐々木加知枝さんが当時を振り返る。

「私自身も津波に呑まれ、紙一重のところで助かりました。店の再建なんて考えられなかったけど、灘の『櫻正宗』さん、鹿児島の『森伊蔵』さんなど全国の名だたる造り酒屋さんはじめ無数の人たちに助けられ、再建への一歩を踏み出すことができました」

かくして、過去に例がない"仮設工場での酒造り"に成功。2012年2月に閖上さいかい市場がオープンすると、閖上の商業仲間らと"集団移転"して、小売り販売も再開させた。「どの店も再起できたのは多くの支援のおかげでした」

その感謝の意味も込めて、商店街に入居する鮮魚店や飲食店など29店はオープン以来、閖上名物の赤貝などに絡んだ各種イベントを定期開催。盆踊りなど地域文化の発信にも努め、被災者同士、あるいは観光客らとの交流の場ともしてきた。

ちなみに、商店街名の「さいかい」には、事業の「再開」に加えてもう一つ、人々の「再会」の意味も込められている。「ここにいれば、震災でばらばらになった閖上の人たちと再会できる。それが一番の楽しみ」と佐々木恒子さんも頬を緩めた。


▼手探りの日々


とはいえ、「仮設はあくまで仮設」というのも事実。商店主の一人は「閖上に戻れる日が見えない中での営業は、まるでサーカスの綱渡り。夜も眠れない」と不安を隠さない。

商店主らのそんな声を受けて、市は昨年、17年までとしていた入居期限の3年延長を決めた。だが、「それだけではひとまず寝れても、とても熟睡はできないよ」とは先述の商店主。「おそうざい工房 匠や」の佐藤浩昭店長(50)が、代わって説明してくれた。

「復興が遅れる中、閖上に戻ることをあきらめた住民は少なくない。『本設』再開となったところで、人が減っていく町では商売は成り立たず、不安は尽きないってことだよ」

実際、閖上にあった水産加工場が流され、現在は市内の別の場所で仮設の加工場を操業している佐藤さん自身も、「今年は本工場の再建に挑むつもりだが、これでまた借金が増える」と苦しい胸の内を明かす。

それでもあきらめないのは、「両親を助けたいと、二人の息子が後に続いてくれたことと、"もう一度やる"と俺自身が決めたから」と佐藤さん。「どう進んだらいいか。手探りの日々は続くよ」と言って唇をぎゅっと噛み締めた。


解説


一層の支援不可欠 にぎわい創出へ多彩な役割


仮設商店街は、3.11で被災した小売店などの早期営業再開を支援するため、独立行政法人の中小企業基盤整備機構が岩手、宮城、福島の3県に建設。多くがプレハブ長屋形式で、最大で約2800業者が入居していた。現在も約700店が営業している。

震災後、仮設商店街が果たした役割は計り知れない。地域住民の暮らしを支える一方、ボランティアや企業、行政などと協力してイベントや観光ツアーなども開催、被災地を元気づけた。同機構から譲渡を受けた市町村が無償で貸すケースが、ほとんどだったため、事業者たちも再建への希望を捨てずにこれた。

こうした成果を復興の"次のステージ"にもつなげようと、中小企業庁はこのほど、「完成から5年以内」としていた仮設商店街の撤去費用の負担期限を2年半延長することを決めた。

実質的な入居期間の延長であり、これを受けて市町村も入居費の無料化を継続すると見られる。資金難に苦しむ事業者にとっては、またとない朗報となった。

とはいえ、かさ上げ工事の遅れなどから、本設移転のめどが立たない商店街がほとんど。行政による一層柔軟な支援が欠かせない。

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