e防災教育で希望つなぐ
- 2016.03.11
- 情勢/社会
公明新聞:2016年3月11日(金)付
市民のリーダー育む
ここから語り継ぐ「3・11」
「建築士になって震災に強い家を造りたい」「津波被害を減らせる研究者になる」。宮城県内で公立高校の前期選抜が行われた2月3日。多賀城高校(多賀城市)の会場には、地元・多賀城市をはじめ、県内の被災地からやって来た受験生の姿があった。同校には今春から「災害科学科」が誕生し、高い志を胸に秘めた"15歳"が新しい春へと挑んだ。東日本大震災から5年。全国の高校では2例目となる防災系の専門学科に注目が集まっている。(東日本大震災取材班)
宮城県多賀城高校に今春、「災害科学科」が開講
新しい視点で
「ここは、184センチ!」。"あの日"、まちには、どんな大津波が襲ってきたのだろう......。3月2日、多賀城市桜木地区を訪れた多賀城高校の生徒たちは、大通り沿いの電柱にメジャーをあてていた。自分たちの背丈より高い位置に「津波標識」を取り付けながら、「海からこんなに離れているのに」と息をのんだ。
同市の海岸線はわずか5キロにもかかわらず、市内の3分の1が浸水。住宅や工場を高い波が襲う「都市型津波」に見舞われた。この教訓を後世へ伝えようと、同校は震災体験学習に力を入れてきた。大震災の翌年からは、市と連携し、生徒有志で住民や町内会長から聞き取りをしながら取り付けた津波標識は約100カ所にも上る。
震災当時、同市大代北区の町内会長として避難の指揮をとった加藤渉さんは、同校で災害科学科が始まるにあたって「若い人の新しい視点で防災力が高まるのでは......」と期待。「知識を学び地域に還元してもらえれば」とエールを送る。
東の拠点に
多賀城の災害科学科の"先輩"にあたるのが、兵庫県立舞子高校(神戸市)の環境防災科。阪神・淡路大震災の教訓から「市民のリーダー」を育てようと、2002年に開講した。初代科長の諏訪清二教諭を中心に、当時、前例のなかった防災教育の多彩なカリキュラムを作り上げた。その学び舎から巣立った卒業生の進路は消防士から保育士、医療関係など幅広い。
同科で特徴的な授業の一つが消防学校の訓練体験だ。これは阪神・淡路大震災時に多発した火災に対し、消防隊の手が回らず、市民のボランティアが大きな力になったことが背景にある。生徒たちはホースを操っての消火作業や応急手当ての手順を現役の消防士から教わり、防災の基礎知識を学んでいる。
同科の生徒にとって3.11の被災地にも防災専攻の学科ができることへの関心は高い。2年生の安田もえさんは「お互いの体験を共有し合う場をつくりたい」と目を輝かせていた。和田茂科長は「多賀城が防災教育の"東の拠点"として軌道に乗るまで、先例校としてバックアップしたい」と力強く語る。
人のため
多賀城高校は今春、1学年に普通科6クラス(240人)、災害科学科1クラス(40人)でスタートする。
災害科学科では、普通科の学習内容に加え、災害史を学ぶ「社会と災害」や、自然災害が人間に与える影響を考える「自然科学と災害」など独自科目を設定。実習を通して防災の基礎知識を学ぶ普通科との共通科目も導入される。
小泉博校長は「生徒の『人の役に立ちたい』を実現できる場所をめざしている。この学科から『3.11』を後世に語り継ぐことに挑戦したい」と意気込んでいる。
前期選抜の合格者16人の受験番号が校舎に張り出された2月12日。塩釜市の青沼玖実さんは、緊張した面持ちで掲示板の前に足を運んだ。青沼さんの父・幸也さんが経営する商店は5年前の津波で流されていた。それだけに、自分の番号を見つけ感極まった様子。看護師への夢を膨らませる玖実さんを笑顔で見守りながら「人生で娘が生まれた次にうれしい。親バカかもしれないけど」と喜びの涙を浮かべていた。
被災地の希望をつなぐ新学期がいよいよ始まる。
公明も設置を推進
公明党宮城県議団(庄子賢一団長)は、東日本大震災の教訓を生かし、人材を育てるため、県内の公立高校に防災系専門学科を設置するよう議会で提案。「学習環境の充実や就職、進学への支援策を力強く進めたい」と庄子団長は話している。
子どもの震災体験を軸に
元・舞子高校環境防災科長
諏訪 清二 教諭
防災教育の根本は「市民力を育む」こと。生徒たちは授業や実習を通して、地域に認められ、その一員としてのアイデンティティー(存在意義)を確立していきます。「市民力」が緊急時の支援に役立ち、災害からの復旧にも大いに役立つのです。
日本における防災教育の歩みを振り返ると、深まってはいるものの、広まっていないというのが実情です。こうした中で、東日本大震災の被災地にある高校で災害科学科が設置されたことは、"広がり"の象徴であると思います。
多賀城高校の教員には、不安やプレッシャーも多いはずです。私も環境防災科が始まったばかりの時は毎日が自転車操業。失敗もたくさん経験しました。
大事なことは子どもたちの震災体験を授業の真ん中に据えること。あとは教員が腹をくくって、生徒と一緒に勉強していけば、"多賀城ならでは"の防災教育の形ができるのではないでしょうか。