eコラム「北斗七星」

  • 2016.08.08
  • 情勢/社会

公明新聞:2016年8月8日(月)付



夏目漱石が亡くなって100年になる。1896年(明治29年)、漱石は筆者の古里・熊本市の第五高等学校(現在の熊本大学)の教師に赴任し、その後4年3カ月暮らしている。その間に6回も転居しているが、最も長く住んだ5番目の洋風の家が記念館となっている◆大地震後に初めて帰省したが、半壊した実家を見た後に記念館に行くことにしていた。実家の損傷の様子は聞いていたし写真でも見ていた。しかし、生まれ育った壊れた家をこの目で見るのも、埃が激しい家の中を土足で歩くのも辛かった◆瓦屋根の家は、実家も含め近隣のほとんどが防水用のブルーシートで覆われ、隣に住む兄の家の風呂の修理もやっと終わったばかり。業者の手が追いつかないのだ。片付けが済んでいないゴミも各地に残されている◆35度を超す日差しと、クマゼミの鳴き声に圧倒されながら、漱石の記念館を訪ねてみた。が、残念ながら門の扉には『地震の影響で当分の間、休館します』の一文◆滞在中の揺れは震度1程度だったが「ドン!」と響くのには驚いた。救いは全体の修復に20年要するとはいえ、熊本城の櫓の美しさが変わっていなかったことと、街を行き交う市民の表情が明るかったことである。『負けんばい(負けない)、熊本!』『がまだせ(頑張れ)、熊本!』(流)

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