eコラム「北斗七星」

  • 2016.09.21
  • 情勢/社会

公明新聞:2016年9月21日(水)付



<雨ニモマケズ 風ニモマケズ......>。東日本大震災の被災地で、どれほど多くの人々が、この詩を自らの歩みに重ね合わせてきたことだろうか。宮沢賢治が手帳に書き残したこの言葉があらためて世界各地で注目されている◆賢治は、今から120年前の「明治三陸津波」の年に生まれ、「昭和三陸津波」が発生した1933年に没した。偶然とは思えない時の符合、そして作品で「イーハトーヴォ海岸」と称した三陸海岸への愛情が、東北人の心に響くのだろうか◆日本を代表する詩人で、童話作家の賢治は、生前は無名に近かった。その名が天下に広まるきっかけは"弟子"である農村指導者で作家の松田甚次郎が作った◆賢治は、初めて出会った松田に「小作人たれ、農村劇をやれ......」との言葉を贈った。松田は、故郷の山形県稲舟村鳥越(現新庄市)で、農業青年を育てながら、農民芝居に取り組む。松田の10年間の苦闘をつづった『土に叫ぶ』は戦前の大ベストセラーになった。その松田が編者となり『宮沢賢治名作選』が刊行されるや大いに売れ、賢治の名声が定着した◆度重なる冷害に大凶作。昭和初期、苛酷なムラの運命に立ち向かった賢治は37歳、松田は35歳で生涯が燃え尽きた。自然災害が相次ぐ昨今、困難な環境へ果敢に挑んだ2人の精神は輝きを増す。(川)

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