e防災意識高める契機に

  • 2016.11.07
  • 情勢/解説
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公明新聞:2016年11月6日(日)付



対談 11.5は世界津波の日
         
啓発活動支援など 日本が取り組みリード
公明党参院議員 谷合正明
群馬大学大学院 片田敏孝教授



きのう5日は、国連で制定された「世界津波の日」。津波防災への国際的な機運を高める契機として期待されます。国内外で津波の惨禍から人命をどう守るか。群馬大学大学院の片田敏孝教授と、国会質問で同日の啓発活動の強化を訴えた公明党の谷合正明参院議員に語り合ってもらいました。

片田 昨年12月の国連総会で日本政府の提案・主導で採択された「世界津波の日」を初めて迎えました。

谷合 この日はもともと、東日本大震災を踏まえ、公明党がリードした津波対策推進法により日本の「津波防災の日」と定められている日です。逸話「稲むらの火」に【下記参照】ちなみ、日本各地で津波の避難訓練が行われてきた経緯があります。

片田 津波は世界各地で甚大な犠牲を出しています。特に、日本は津波の常襲地域で、さまざまな経験や教訓があります。その知見を世界へ積極的に生かすことが重要です。

谷合 ご指摘の通りです。現在、世界津波の日を踏まえ、日本が米国、チリなどの国々と手を携え、関連行事や防災訓練を活発に行っています【表参照】。今後も、この啓発活動に主体的、持続的に協力していく必要があります。

片田 私自身、防災研究者としての使命を深く自覚したのが2004年のインド洋大津波でした。インドで泣きながら子どもが親を荼毘に付す光景を目にした時、「悲劇の原因を突き止めたい」と誓いました。

谷合 胸が痛みます。私もインド洋大津波では、タイ・プーケット島に党調査団として急行しました。

被災地域では、現地の方々のほか、日本や欧州など多くの国の観光客が犠牲になりました。グローバル化の時代にあって、どこの国も津波と無縁ではありません。

片田 先進国にも津波の脅威はありますが、開発途上国では、インフラ(社会資本)はもとより、行政組織に防災担当の部局がない国もあり、さらに脆弱です。

私は、中米・ニカラグアで防災教育を数年前から支援していますが、ようやく人々の間に「BOSAI(防災)」の言葉が浸透してきました。私は「BOSAI」を世界共通語にすることが夢です。

谷合 それには、防災人材の育成が要となりますね。昨年3月に仙台で開かれた国連防災世界会議で、日本は防災や災害復興を担う各国の行政官らを4万人育成するための資金協力などを実施する方針を表明しています。公明党も、こうした取り組みが加速するよう働き掛けていく決意です。

谷合 片田教授は日本国内でも各地を回って、防災教育の重要性を訴えてこられました。


備えの行動で次世代に継承

片田 100年に1回周期の津波だと、3、4世代と語り継ぐ必要があります。経験していないことを語り継ぎ、同じ意識を共有することには限界があります。その上で「語り継ぐ」だけではなく、沿岸部で地震が来たら、率先して大人が逃げるなどの行為を「やり続ける」こと。その中で、危機に向き合う能力を培う「育みの環境」をつくることが大事だと感じています。

谷合 共感できます。私も国会質問で「防災訓練も、普段の生活の中に溶け込ませることが非常に重要」だと訴えてきました。

片田 防災教育は、10年、20年とやり続けて、次の世代へと備えの行動で伝えていく「文化」をつくる取り組みです。それだけに、子どもを対象にした防災教育には、さらに力を入れたい。公明党の考えは私のめざす防災の方向と共感できるところが多く、心強いです。

谷合 公明党として、国・地方の議員、党員のネットワークの力を生かして積極的に取り組んでいきます。

片田 防災が、地域の「知恵」、そこに暮らす「作法」、自然に向き合う「姿勢」として、日常生活の中にすり込まれるぐらい、自分の身を守る行動を取り続ける。その「行動する背中」を次の世代が目にして引き継ぐ。この内発的な行動を生み出すには、共感できるコミュニケーションの積み重ねが必要です。親が子どもを思う心は、国内外を問わず普遍的なもの。ここに防災教育の急所があるとも感じます。このように、各地域で、防災を「文化」として定着させていきたい。

そのためにも、国が進める国土強靱化の中に、一人一人の防災意識を高める"国民強靱化"の視点を盛り込んでほしいです。

谷合 防災を各国の主流の政治課題として位置付けることは、広い意味で「人間の安全保障」にも通じます。世界津波の日を契機に、日本の役割を果たせるよう頑張ります。


かただ・としたか
1960年、岐阜県生まれ。豊橋技術科学大学大学院博士課程修了。専門は災害社会工学。


稲むらの火
安政元年(1854年)11月5日に起きた安政南海地震の際に紀州広村(現在の和歌山県広川町)で水が枯れた井戸などを見て、津波を察知した濱口梧陵が自らの稲束(稲むら)に火を付け、それを目印に村人を高台に避難させ、命を救ったという話です。濱口らは堤防の建設にも取り組み、その後の津波災害から村人の命を守りました。

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