eコラム「北斗七星」

  • 2016.12.05
  • 情勢/社会

公明新聞:2016年12月5日(月)付



3.11の大津波に流され、根の裏側をさらす一本のクロマツが、一人の画家に絵筆を握らせた。いせひでこさんが、その木と出会ったのは宮城県亘理町の吉田浜。<折れた腕をすべて大地に沈み込ませ、わたしはわたしの新しい根になろう>。絵本『わたしの木、こころの木』に木の命の営みは、描かれた◆東日本大震災によって、クロマツをはじめとする海岸防災林は、青森県から千葉県にわたる総延長約140キロが被災。林野庁は、NPOや企業、地域住民と連携しながら復旧・再生に取り組んでいる◆仙台湾沿岸にマツが植えられるようになったのは、慶長5年(1600年)の12月。仙台に居を移した伊達政宗が遠州(静岡県)からクロマツの種を取り寄せ、石巻から山元・磯浜に至る65キロの砂浜に海岸林の造成を命じた。海からの強風と飛び砂、高潮を防ぐためである。育ったマツ林は「潮除須賀松林」と呼ばれ、仙台平野を穀倉地帯へと変える礎となった◆人々の暮らしを守ってきたマツ林も、あの大津波で流木となり被害を大きくした。一方、大波にあらがって、津波の到達を遅らせ、被害を軽くさせた例もある◆政宗は万代にわたる繁栄を願い<千代とかぎらじ せんだいのまつ>と詠んだ。千年に一度の経験を教訓とし、千年先の復興・防災へ英知を結集したい。(川)

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