e新成人の君へ 「自己の社会的あり方」に責任を
- 2017.01.10
- 情勢/解説
公明新聞:2017年1月9日(月)付
現代は大人と子どもの境が見えにくい時代と言えるかも知れない。
最たる要因の一つは「大人の幼稚化」だろう。児童虐待、オレオレ詐欺、ストーカー等々、およそ自分のことしか考えない"子ども大人"による犯罪が後を絶たないのも、その表れには違いあるまい。
そんな風潮の中、きょう9日、全国で123万人の若者が「成人の日」を迎える。
―清新の息吹満つ君たちよ、時代の風潮に流されることなかれ。幼稚化する先輩世代たちを尻目に、威風堂々、確かな人生を歩んでくれ給え。
晴れの門出を祝いつつも、祈りにも似た気持ちで、そんなメッセージを贈らずにはいられない。
それにしても、大人と子どもを分かつものとは何なのだろう。作家の伊集院静氏がその著『大人の流儀』で披露している"説教"が面白い。
曰く、「自分だけが良ければいいと考えるな。ガキの時はそれも許されるが、大人にとって、それは卑しい」
また曰く、「世界を見ろ。日本という国がどれだけ小さく、外国からどう日本人が見られているか。将来、この国はどうなっていくかを自分で考えるんだ」
つまりは、「社会の中の自分」を自覚せよ。「自己の社会的あり方」に矜持と責任を持て。そういうことだろう。
ただ、新成人がこの"大人の流儀"を身につけるのに、時代はいささか過酷に映る。大人社会の幼稚化現象などには負けぬにしても、それ以上に厳しい現実が彼ら彼女らを取り巻いているからだ。
早い話、新成人は、6人に1人が子ども時代を貧困の中で育つなど格差社会の荒波をまともに受けた世代だ。将来に向けても、超少子高齢化で介護や年金、医療など社会保障面での個人負担の増大が予想される。海外に目を転じても、グローバル化の激流下、不透明感が増す一方にある。
しかし、いや、だからこそ、新成人の君たちに望みたいのだ。このシビアな現実に目を背けることなく、大いに物申し、時代に抗い、社会に新風を送る大人であってほしいと。そうして、その作業を通して「自己の社会的あり方」を確立していってほしいと。
とまれ、20歳めでたし。