eコラム「北斗七星」

  • 2017.05.22
  • 情勢/社会

公明新聞:2017年5月22日(月)付



夏目漱石は、随筆『硝子戸の中』に、姉たちが、自宅のあった現在の新宿区喜久井町から浅草まで芝居見物に行く話を記している◆電車も車もない時分、一行は船で神田川を下る。牛込の船着き場を発った船は、水道橋、お茶の水を漕ぎ過ぎ隅田川を遡って、今の言問橋あたりに着けたという。当時の神田川は水の都・東京の要路。"江戸川"と呼ばれた往時が偲ばれる◆高度経済成長期、神田川の上中流域では市街地が急速に拡大。雨水の貯留・浸透機能が低下し、大雨が降ると大量の水が一挙に河川や下水道に流入。1970年代後半から水害が頻発するようになる。2005年9月の豪雨では、中野、杉並両区を中心に3000棟以上が被災した◆"暴れ川"と化す神田川流域の水害を防ぐため、東京都は環状七号線の地下に内径12.5メートル、延長4.5キロメートルの調節池を建設。これにより、洪水約54万立方メートルの貯留が可能になった。約20年を要した事業を推進したのは、都議会公明党の、今は勇退した議員とバトンを継いだ後輩都議たち。誇らしく思う◆今後、複数の調節池を連結させ貯留量を融通し合う広域調節池の整備が進む。巨大プロジェクトだ。継続的な政策の遂行能力が問われる。「安全・安心」の先進都市・東京を実現できるのは都議会公明党をおいて他にない。(中)

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