eコラム「北斗七星」

  • 2017.05.26
  • 情勢/社会

公明新聞:2017年5月26日(金)付



「"当局の優柔"せめる 公明・矢追委員」。今から50年前、富山県の北日本新聞の社会面トップに大きな見出しが躍った。1967年5月26日、公明党が各党に先駆けて国会でイタイイタイ病を取り上げ、政府の無為無策を追及した翌日の記事である◆質問に立った矢追秀彦参院議員(当時)は、その後も患者の代表が厚生相(現厚労相)に直訴する機会を設けたり、視察・調査活動に一段と力を入れた。後に公害問題の第一人者となる東京大学助手の宇井純氏を訪ね、深夜12時過ぎまで資料に目を通すこともあったという。その姿を目の当たりにした宇井氏は「そこまでやるもんだと感心した」と当時の公明党の月刊誌に寄稿している◆半世紀前の日本は、東京五輪を機に右肩上がり経済を謳歌していた。高度経済成長の「光」の側面だ。しかし、産業を優先したあまり、公害という「陰」からしっぺ返しを受ける◆時は流れ、今やグローバル経済の時代。繁栄の歯車が回転速度を増す一方で、人々の格差は広がるばかり。次世代への連鎖を防ぐため、公明党は教育を重視する。国レベルでは返済不要の奨学金の導入を推進し、都議会では私立高校の授業料の実質無償化を勝ち取った◆今後も、時代や社会の変化に「陰」は付きまとう。公明党の役割は、ますます重くなる。(明)

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