eコラム「北斗七星」

  • 2017.06.08
  • 情勢/社会

公明新聞:2017年6月8日(木)付



江戸城の天守閣は「明暦の大火」(1657年)で焼失してから現在に至るまで再建されていない。会津藩主で徳川幕府の補佐役だった保科正之が、城下の復興を優先するよう訴え、第4代将軍・家綱が受け入れたためである◆大火の後、家綱は江戸城西丸へと居を移した。だが<あまりの大火に驚いて将軍は上野の東叡山に避難したとか、川越や古河に動座したとかいう流言飛語が流れた>『江戸の災害史』(倉地克直著)◆激烈な災害に直面した人間の心理は、古来から変わらないのだろう。東日本大震災直後、被災自治体で復旧の陣頭指揮を執っていた首長から「海外に逃げたと噂され、困惑した」と聞いたことがある◆当時、宮城県内では「被災地で外国人犯罪が多発している」とのデマも、まことしやかに飛び交った。東北学院大学の郭基煥教授(共生社会論)の調査では、仙台市民の8割以上が事実と信じたという。しかし、「確かに見た」という人は0.4%で、ほとんどは、人づてに聞いたり、インターネットで見ただけ。実際、宮城県警では、2011年に外国人犯罪が特別増えた事実はないとしている◆<流言は智者に止まる>とは中国の思想家・荀子の言葉である。出所を確認し、真偽不明な情報は転送しない。賢明な行動こそがデマの拡散を防ぐ。(川)

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