eコラム「北斗七星」
- 2017.07.20
- 情勢/社会
公明新聞:2017年7月20日(木)付
「3.11」以前ならば、地元の人でなければ読めない地名だったかもしれない。宮城県名取市の「閖上」は、あの大津波の光景とともに、多くの人の記憶に深く刻まれていることだろう◆「閖上」と名付けたのは、仙台藩4代藩主・伊達綱村。大年寺山門から「ゆり上浜」を望んだ綱村が「門の中に水が見えたので、門の中に水という文字を書いて『閖上』と呼ぶように」と命じたとか◆この「閖」には、大波が沸き立つように激しく押し寄せてくる「水波激蕩」という意味があるそうだ(『地名は災害を警告する』遠藤宏之著)。加えて「ゆり上浜」の語源は、波に「ゆり上げられた」十一面観音像が、貞観13年(871年)に見つかったとの言い伝えにちなむ◆「ゆり上浜」は、その2年前に「貞観地震」による大津波が襲来している、いわば"津波常襲地帯"。なお「ゆり」は「揺れ」に通じ、地震や津波の歴史をとどめる「災害地名」とされる。先人は、地名に後世への警鐘を込めたに違いない◆<我々が嘗めたと全く同じ経験を昔の人がさんざんに嘗め尽くして来ている......そういう経験がいつの間にか全く世の中からは忘れられてしまって......>。寺田寅彦は『事変の記憶』にこう書き残した。東日本大震災の記憶と経験を次の世代へと途切れずに伝え続けたい。(川)