e党広島県本部 核廃絶へ平和創出行動

  • 2017.08.01
  • 情勢/社会

公明新聞:2017年8月1日(火)付



女性議員、党員も全力で取り組み



被爆72年の8月6日を前に、公明党広島県本部(代表=斉藤鉄夫幹事長代行)は7月26日、広島市内で、原爆養護ホームなどへの慰問や平和創出大会の開催などからなる「平和創出行動」を実施。女性議員や党員が積極的に参加しました。


原爆養護ホーム慰問


被爆者見舞い、決意新た

党広島県本部の議員、党員の代表は7月26日、広島赤十字・原爆病院と市内の原爆養護ホーム4施設を慰問。女性議員では日下美香県議と、安達千代美、米津欣子の両広島市議、敷本弘美・北広島町議が参加し、入院・入所の被爆者を見舞いました。

舟入むつみ園(広島市中区)では、議員と共に女性党員の上杉恭子さん、旭千鶴子さんが慰問に参加。一行が懇談の会場に入ると、入所者の木村英子さんらが「元気でおったよ」と出迎えました。

園の担当者は、入所者が平和への願いを込めて折り紙でハトを折っていることなどを説明しました。

上杉さんは、原爆ドームがある中区を活動の舞台とする党中支部の副支部長を務めています。「平和を実現するためには、草の根の行動が大事」と語る上杉さんは、毎年の慰問で入所者に会うたびに、核廃絶への誓いを新たにします。また、「『来年も元気でいてほしい』との気持ちが年々強くなる」と話しました。

旭さんは、母親が被爆した体験を持つ被爆2世。数年前、ショックを受けた出来事がありました。ある小学生の男の子が、「戦争を終わらせるために、原爆は仕方なかったんだよね」と話すのを聞いたのです。「世の中に、仕方なく殺されていい人なんていない」。戦争の愚かさを伝えなければとの思いを強くした旭さんは、後に広島市の「被爆体験伝承者養成事業」に応募し、被爆体験の受講などを進めてきました。

「被爆体験伝承者」は、高齢となった被爆者の体験を受け継いで語ります。旭さんは、被爆者が少なくなる中、できることをやろうと決意しています。

現在4期目の日下県議は、被爆2世。爆心地に最も近い市立本川小学校で、PTAの一員として平和学習で訪れた子どもたちに被爆当時の模様を語るボランティアに参加するなど、議員になる前から平和運動に力を入れてきました。7月7日に国連で核兵器禁止条約が採択されたことを受け、日下県議は「被爆地・中区選出の議員として、党員と力を合わせて核廃絶の潮流をつくっていきたい」と語りました。


平和創出大会


72年前の体験を発表

7月26日夜、広島市中区の広島平和記念資料館で、党広島県本部主催の平和創出大会が開催されました。大会では今年、78歳となった女性党員の上土井多子さんが登壇し、72年前の体験を語りました。

上土井さんは原爆が投下された当時6歳。現在の中区千田町から、安佐北区可部地区に疎開していました。原爆の投下後、面倒見の良かった母親を頼り、被爆した人たちが次々と避難してきました。母親は介抱に追われ、上土井さんはそれを手伝っていました。

原爆投下から数日後、妹は仮死状態に。一命を取り留めましたが、ずっと病弱でした。母親は後に、胃がんと胆管がんを発症。上土井さん自身も、小学校4年生の時、ひどい黄疸になりました。これらは被爆者を介抱したことによる二次被爆と思われましたが、母親は被爆者健康手帳の申請を拒否。「『婚約が破談になった』などの話を聞き、娘たちをそんな目に遭わせたくないと思ったのでしょう」と上土井さんは語ります。母親は72歳で亡くなるまで、疎開先での出来事を一切語らなかったといいます。

上土井さんもまた、当時のことを語ることはありませんでしたが、4年前、外国人と交流したことをきっかけに、少しずつ当時の体験を話すようになりました。

上土井さんは平和創出大会で体験を発表したことについて「母も喜んでいると思う」と語りました。戦争の怖さ、平和の尊さを一人でも多くの人に知ってほしいと強く願っています。

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