e阪神・淡路大震災23年
- 2018.01.17
- 情勢/解説
公明新聞:2018年1月17日(水)付
対象範囲が極めて狭い「災害障害見舞金」
残る傷 支援行き届かず
震災障がい者の今
6434人の尊い命を奪い、都市を壊滅させた阪神・淡路大震災から、きょうで23年。街は復興を遂げ、震災の"爪痕"は消えたかに見えるものの、今なお、心や体に負った傷が癒えぬまま暮らす被災者がいる。その歩みを追いつつ、今後の課題を探った。=関西支局特別取材班
神戸市灘区の復興住宅に住む植村貴美子さん(87)は、インターホンに応じ玄関先まで出てきた。今も足にしびれが残る。「正座でしびれが切れている感じ。もう慣れたけど」。表情に暗さは無かった。
夫と死別し、息子と2人で住んでいた灘区内の文化住宅は、震度7の激震で全壊。気付けば下半身ががれきに埋もれ身動きが取れない。息子と共に助け出されたのは、発災から丸2日以上たってからだった。息子は奇跡的に無傷。だが植村さんは下半身に障がいが。長期間のリハビリで歩行は可能になったものの、医師からは「しびれとは一生付き合うことになる」と告げられた。震災で障がいを負った植村さん。だが、「行政からの支援は全くなかった」という。
事実、植村さんのような震災障がい者は、行政の支援から縁遠いところに置かれてきた。例えば、支援の基盤となる、障がいが残っている人の数は今も不明。発災から15年が経過した2010年に兵庫県と神戸市が実態を調査し、1万人を超える重傷者のうち349人を「震災障害者」と認定したが、「ごく一部を特定できたに過ぎない」(調査報告書)としているのだ。
治療費の免除期間 病状関係なく一律
また、震災障がい者らに支給される「災害障害見舞金」を受けた人は、現在までにわずか64人。「両眼の失明」など対象範囲が極めて限られているためだ。このほか、治療費の免除期間が病状に関係なく一律に設定されていることも、関係者からは「制度上の不備」と指摘されている。
震災障がい者の一人、神戸市中央区に住む岡田一男さん(77)。救出されるまでの18時間、臀部の右側が圧迫されたことから、筋肉が壊死する「クラッシュ症候群」に。対応を誤れば死に至るものの、命は助かった。だが、足をきつく固定しなければ歩くことができない肢体に。岡田さんを苦しめ続けたのは、それだけではない。「街の復興に合わせ元気になる人々から取り残されている」との孤立感だったという。
当事者とその家族 悩み分かち合い、生きる希望に
そんな岡田さんにも転機が訪れる。06年末に被災者支援のNPO法人「よろず相談室」の牧秀一理事長と出会い意気投合したことだった。2人が中心となり翌07年3月には、当事者同士で苦悩を分かち合える「障害者と家族の集い」をスタートさせた。これまで月1回のペースで集まり、20人以上の参加者が抱える悩みを互いに吐露し、生きる希望を見いだせるようになったという。
後に植村さんもこの輪に加わり、重ねられてきた同相談室の活動。真の復興へ。「民の力」による奮闘が今もなお続いている。=関連記事
公明、支援を後押し 厚労省が実態把握へ
NPO法人「よろず相談室」牧 秀一理事長
発災当初から被災者支援の活動を進めてきたが、震災障がい者の実情を初めて知ったのは11年以上が過ぎてからだった。それから月1回のペースで障がい者同士の交流の場を主催している。
「命が助かっただけでも良かった」と、震災障がい者自身や周囲の考えにより、その後の生活が一変しても行政に支援を強く訴えることもできず苦しい思いを抱えてきた。
支援にはまず、実態を把握することから始まる。昨年、震災障がい者の実態把握へ、障がい者診断書の原因欄の選択肢に「自然災害」を加えるよう、公明党の赤羽一嘉衆院議員を通じて厚生労働省に要望したところ、全国の自治体へすぐに通知が出された。公明党には引き続き、支援体制の強化へ先頭に立ってほしいと願っている。