e3・11から7年 続・教訓の行方
- 2018.02.20
- 生活/生活情報
公明新聞:2018年2月20日(火)付
津波避難カルテ
避難方法など戸別に掌握
「犠牲者ゼロ」へ全町職員が防災担当
高知・黒潮町
青い水平線がはるかに広がる高知県黒潮町。"カツオの一本釣り日本一"の町は、東日本大震災以降、行政と住民が協働で地震・津波対策に取り組む「防災先進地」として全国からの視察が絶えない。
震度7の地震発生後、最大34.4メートルの津波が8分後には到来し、人口1万人強の町で予想される人的被害は2300人――。2012年3月、内閣府が発表した南海トラフ巨大地震の新被害想定を受け、町は対策を加速した。
その大きな柱が全国的にも例を見ない「津波避難カルテ」だ。町情報防災課南海地震対策係の西村享之氏は、「津波浸水想定区域の全住民一人一人に焦点を当て、個別の避難計画を立てる基礎資料」との意義を強調する。
カルテには「家族構成」「自力避難の可否」「避難先と所要時間」「徒歩や自動車など避難方法」と併せ、自宅から避難場所までの経路を地図に記入してもらい"自助"意識を喚起。さらに、近所で助け合う人を「防災となり組」と定義し、災害時の要支援者を地域で掌握しやすくするなど住民の"共助"意識も高めてきた。
地区防災計画
「津波避難カルテ」作成に当たっては町職員と住民が避難道を実際に歩いて検証した=高知・黒潮町カルテの作成に当たっては、町内に14ある消防団の班単位に町職員を配置し、住民懇談会や避難経路の確認を重ねてきた。この職員配置は「職員地域担当制」によるもの。全職員が通常業務に加え、防災業務を兼務し、町内全61地区を分担している。
地震発生後、自治体職員のマンパワーが避難所運営に取られ、罹災証明書の発行など応急業務が滞ってしまった3.11や熊本地震に学び、避難所を運営できる住民リーダーを平時に育成するのも目的だ。
カルテは、津波浸水が予想される40地区の全住民3791世帯が対象。13年2月から1年かけ、実際に住民と町職員が地域を歩き、検証しながら完成させた。
"副産物"もあった。高台への避難道の不備が浮かび上がったのもその一つ。手すりとなるように柵を1メートルの高さとしたり、車いす用にスロープを整備したりと、町は「地域住民の声を反映した計画」を立案。230カ所の"命の道"が今年度末に完成する。
各地区では現在、カルテをもとに車での避難計画や住宅の家具の固定、避難所間の連絡手段の確保といった「地区防災計画」の策定に当たっている。
下田の口地区の森岡健也区長は、170世帯のカルテをもとに地区内の避難所別の一覧表を作成したことを紹介しながら、「これによって地区の全住民の避難行動が明らかになった。『犠牲者ゼロ』にできると確信している」と語る。
防災PDCA
"一人"に焦点を当てた対策こそが「犠牲者ゼロ」に結び付くことは3.11の被災地で実証済みだ。
海抜0メートル、漁港からわずか260メートルの場所にあった宮城県名取市立閖上保育所の事例もその一つ。
あの日、大地震が発生した午後2時46分から10分後、佐竹悦子所長(当時)は(1)逃げます(2)車を持ってきて(3)小学校で会いましょう――と三つの指示を園児と職員に告げた。職員10人と全園児54人が5台の車に分乗し、2キロ先の閖上小学校へ到着したのは3時20分。3階建て校舎の屋上へと避難した30分後、大津波が到達した。住民の5分の1が亡くなった閖上地区にあって「犠牲者ゼロ」の同保育所は"奇跡"と称された。
佐竹さんが同保育所へ赴任したのは09年。毎月の避難訓練を通し、避難先や経路は適切か、自らの行動は合理的だったかと検証しながら「避難マニュアル」を更新。発達障がいの園児がいることも考慮し、避難所は、なじみのある閖上小学校に変更した。しかし、保育所から2キロ離れた先へは「車以外での避難方法は考えられない」。佐竹さんと職員は、付近の道路を車でくまなく走り、渋滞を避ける「避難ルート」も確認していた。
いかにして全ての命を守るのか――。閖上保育所の事例と黒潮町の取り組みは、徹して"一人"に焦点を当てた上で、計画→実行→検証→改善→計画の「PDCAサイクル」に立脚する防災対策が不可欠であることを教えている。(東日本大震災取材班)