eイタイイタイ病 認定50年 教訓を未来へ
- 2018.06.26
- 生活/生活情報
2018年6月26日
患者の苦しみ 語り継ぐ
市民団体、朗読劇で「ポキッと骨 折れる音が」
「息をするのもつらく、自分の骨がポキッと折れる音を何度か聞きました」。激しい痛みに苦しんだ体験談が、参加者の胸を打つ。1968年に提訴した第一次訴訟の原告患者、小松みよさん(故人)の生涯を紹介する朗読劇「ドキュメントライブ」が今年2月に富山市で開催された。
主催したのは市民団体「イタイイタイ病を語り継ぐ会」。朗読劇は同会の向井嘉之代表(74)が、今年1月に出版した著書『イタイイタイ病との闘い 原告 小松みよ』を基にしている。映像に合わせて出演者が患者やその家族を声で熱演し、イ病と闘ってきた歴史を再現した。
向井代表は、富山県のテレビ局・北日本放送で一貫してイ病の取材を続け、患者側の視点から報道してきた。2013年、ようやく原因企業と被害者団体が「全面解決」に関する調印を結んだ後、「これからは市民レベルで情報を共有して伝えていくべきだ」と、14年に同会を設立。語り部の高齢化などで風化が懸念される中、若者らがイ病の歴史を継承できるよう学ぶ場を多く提供し、今後想定される環境や人権の問題も活発に議論してきた。
向井氏は、小松みよさんに関する著書を足尾鉱毒事件の史実から書き起こした。その理由を「イ病を戦後の四大公害の一つとするのは誤り。日本で最初に発生した公害事件は足尾とイ病だ」と言い切る。同じ目線で国を動かしたのが公明党だった。
1967年、矢追秀彦参院議員(当時)は、国会で足尾鉱毒事件を追及。それを知った小林純氏(イ病の原因がカドミウムであることを突き止めた理学博士)が矢追氏に手紙を書き、イ病問題を訴えた。矢追氏は早速、現地を調査し国会で追及。「鉱毒公害と認め、速やかに患者救済すべきだ」と迫った。
これを機に、一地方の風土病扱いだったイ病問題が全国に知れ渡り、68年、日本で初めての公害病認定につながった。この矢追氏の質問を、向井氏は「時代のターニングポイントだった。公明党がやってくれなければあり得なかった」と高く評価している。
学習プラン好評 富山県
県立イタイイタイ病資料館を見学する富山県立大学の学生たち
富山県としてもイ病の歴史継承に努めている。2012年4月にオープンした県立イタイイタイ病資料館では、展示や語り部講座などを実施。小学生から大学生までを対象にした学習プランも好評で、今では来館者の半数以上が若年層だ。同館を見学していた富山県立大学工学部1年の野田美都紀さんは「知らないことが多かった。将来は公害に役立つ薬を研究したい」と語っていた。
病態の解明や認定されていない患者の救済、鉱山に大量に残るカドミウムの監視など、まだイ病は終わっていないといえる。産業優先で住民を犠牲にした公害という負の遺産を改めて重く受け止め、生命優先の社会を開くための教訓として未来に語り継いでいきたい。