e【主張】原爆の日 <非核>人間が人間であるために

  • 2018.08.06
  • 情勢/解説
2018年8月6日


1945年8月6日、人類史上初の原子爆弾が広島に投下された。一瞬のうちに約14万人が亡くなり、街は焦土と化した。3日後には長崎でも7万人以上が犠牲となった。
あれから73年。私たち人類は今も、この残虐で非人道的な兵器を手放せないでいる。世界を何度も滅ぼせる1万4900発の核弾頭に囲まれた「核の時代」を生きている。
何と愚かなことか。時代小説の大家、故・山田風太郎氏がまだ東京の一医学生に過ぎなかった45年当時、日記に刻んだ一文が思い返される。
<地球も、人類の脳味噌も、滑稽で、恐ろしい>
後年、『戦中派不戦日記』との題名で世に出るこの日記で、山田青年は「核の時代」の行く末についても言及している。<科学が人間の手を離れて暴れ出した。人類が自ら発明した科学を制御出来るのはいつまでであろう>と。
この指摘を単なる杞憂と一笑するわけにはいかない。
実際、米専門科学誌「ブレティン」は昨年、2年に1度発表する「終末時計」の針を前回の「3分前」から一気に30秒も進め、「2分半前」とした。米ソ両国が核開発にしのぎを削っていた54年以来の「危険水域」である。
背景にあるのは、国際安全保障情勢の動揺だ。世界の核兵器の9割を占める米ロ両国関係の悪化、現実味増す核テロリズムの脅威、そして北朝鮮の核開発の進展......。要因を挙げれば切りがない。
さらに厄介なのは、核の存在を必要悪として認める冷戦期生まれの核抑止論の呪縛だ。昨年、この考え方自体を否定する核兵器禁止条約が国連で採択されたが、米国など核保有国と日韓など「核の傘」依存国は参加しなかった。
呪縛を解く道はただ一つ、人間を置き去りにする科学の暴走を阻む「人道性に基づく平和哲学」の確立しかあるまい。核廃絶の理想と核抑止の有効性を認めざるを得ない悩ましい現実とを埋める思想戦と言い換えてもいいだろう。
<あなたがたの人間性を心に止め、そしてその他のことを忘れよ>
きょう、73回目の「広島原爆の日」。哲学者ラッセルと物理学者アインシュタインが63年前に発したこの宣言の重みを改めて噛みしめたい。

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