e平和の誓い 未来まで

  • 2018.08.09
  • エンターテイメント/情報
2018年8月9日


73回目の「長崎原爆の日」 
巡回展 未開催県ゼロめざす 
党長崎県本部


長崎市はきょう、73回目の「長崎原爆の日」を迎えた。公明党長崎県本部(代表=麻生隆県議)の議員らでつくる「核兵器廃絶長崎アプローチ構想推進委員会」(委員長=久八寸志長崎市議)は、"長崎を最後の被爆地に"との思いで、原爆展(長崎市と開催都市による共催)の未開催県ゼロに向けた取り組みに力を入れている。3日には、長崎原爆資料館で中村明俊館長に会い、今後の活動について意見を交換した。

「73年間の"平和"の中で、核への脅威が薄れている。核兵器の惨状を知ってもらうきっかけが原爆展だ」。中村館長は同展の県外開催の意義を強調する。
原爆展は、長崎原爆資料館内に所蔵されている原爆投下時の写真パネルや資料などを他の都道府県の都市に貸し出すもの。1994年に佐賀市で初開催され、昨年までに未開催県8県を除く都道府県で開催されてきた。未開催県のうち、今年は3県で開かれる予定となっている。
公明党長崎県本部の推進委員会では、被爆75年となる2020年までに未開催県ゼロをめざし、現在、未開催県の公明党議員と連携を取りながら、同展の開催を進めている。中村館長は「公明党の取り組みによって未開催県が減った。着実に、核の脅威や廃絶に対する市民への意識啓発につながっている」と評価する。

一方、党長崎市議団(向山宗子団長)は、各議員がそれぞれ活発に平和活動を展開している。山本信幸議員は、国指定文化財の被爆校舎・市立城山小学校(旧城山国民学校)の長崎市立城山小学校原爆殉難者慰霊会副会長として活動。昨年初めて開催された「荒川秀男絵画展」(同慰霊会主催)は、山本議員が実行委員長として奔走し、実現したものだ。
荒川氏(故人)は原爆当時、爆心地から約500メートルにあった城山国民学校の教頭として勤務していた。校内で被爆したが、奇跡的に生還。生き残った児童らが同小学校で学ぶ様子や卒業式の模様などの絵を描き残した。
2回目となる今年の企画では、絵画に描かれている被爆者の証言映像を撮影し、放映するほか、周辺の学校でも巡回展示を行う予定だ。荒川氏の絵画「涙の卒業式」に描かれている生存者の一人、森本正記さん(85)は「荒川先生の絵が残っていたとは......。うれしかねー」と目に涙を浮かべた。
このほか、永尾春文議員は「平和案内人」として、原爆資料館や平和公園周辺などを案内するボランティアガイドに汗を流している。

平均年齢81.67歳 被爆体験の継承が課題

原爆投下から73年。長崎市の被爆者(被爆者健康手帳所持者)は、2万9064人(18年3月末現在)と初めて3万人を下回り、平均年齢も81.67歳と高齢化し、被爆体験の継承が課題だ。
そうした中で、"物言わぬ被爆者"である被爆遺構の「語る力」はますます重みを増している。党長崎県本部は、被爆体験の継承に向け、被爆証言の保存や被爆遺構の保全を国や長崎市に働き掛けている。久委員長は「核兵器のない世界の実現へ、被爆地・長崎から核廃絶に向けて動き続ける」と決意を語った。

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